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「E.T.」というクソゲーができるまで~背景にあるアタリショックとは~

ゲーム史に残るクソゲーとして知られる『E.T.』をご存じでしょうか?

1982年にアタリ社から発売された『E.T.』は、当時大ヒットした映画を題材に開発されたゲームです。しかし、その背景には、当時のゲーム業界で起きていたさまざまな問題がありました。

この記事では、アタリ社の歴史を振り返りながら、『E.T.』がわずか5週間で開発された背景や、アタリショックが起きた原因をわかりやすく解説します。

さらに、アタリショック後のゲーム産業を立て直した任天堂にも触れ、ゲーム業界がどのように変化していったのかを紹介します。

目次

ゲーム史に残るクソゲー「E.T.」ってどんなゲーム?

『E.T.』は、1982年にアタリ社から発売された、家庭用ゲーム機「Atari 2600」向けのゲームソフトです。

当時大ヒットした映画『E.T.』を題材に、宇宙船に乗り遅れたE.Tが電話機の部品を集めて組み立て、仲間と交信して宇宙船を呼び出すという、アクションアドベンチャーゲームです。

しかし、実際にプレイした人からは、操作が難しく、何をすればいいのかわかりにくいといった声もありました。特に、ゲーム中に何度も穴に落ちてしまうことが、プレイヤーを悩ませる要因の一つだったといわれています。

映画の人気とは裏腹に、ゲームとしては厳しい評価を受けた『E.T.』。いったい、なぜこのような作品が生まれてしまったのでしょうか。

アタリ社ってどんな会社なの?

アタリ社は、1972年にアメリカで創業された、コンピュータゲームをビジネスとして展開した先駆的な企業です。創業者のノーラン・ブッシュネルは、ゲーム業界の発展に大きく貢献した人物として知られています。実は、あのAppleの共同創業者であるスティーブ・ジョブズも、かつてアタリ社で働いていたことがあるんです!
自由な社風でも知られていたアタリ社。ゲームの歴史を振り返ると、意外なつながりが見えてきますね。

クソゲーと呼ばれる要因は?

ひとことで表すなら、E.T.は「時代に合わなかったゲーム」と言えるでしょう。

当時ヒットしていたゲームは、操作やルールがわかりやすく、誰でも気軽に楽しめるものが多くありました。

一方、『E.T.』はゲームの目的や仕組みがわかりにくく、操作にも慣れが必要でした。すぐに穴に落ちてしまうなど、思うように進められないことも、低い評価につながったと考えられます。

ゲームの仕組みや攻略のコツを理解すれば、やり込める要素もあります。しかし、当時は現在のように攻略サイトや解説動画で手軽に情報を得られる環境ではなく、付属の説明書などを頼りに、自分で遊び方を理解する必要がありました。

そのため、ゲームの面白さにたどり着く前に、難しさを感じて遊ぶのをやめてしまう人が後を絶たなかったと考えられます。

クソゲーができた背景にある「アタリショック」とは

そもそも、なぜクソゲーが生まれたのでしょうか。

その背景には、目先の利益を優先するあまり、ゲームの品質が低下し、ユーザーがゲーム業界全体に不信感を抱くきっかけとなった「アタリショック」がありました。

1980年代初頭、アメリカの家庭用ゲーム市場では、ゲームに対するユーザーの不信感が高まっていました。そんな中、アタリ社も経営不振が続きます。

そこで目を付けたのが、世界的に大ヒットした映画『E.T.』です。

映画の人気が続いているうちにゲームを発売し、クリスマス商戦に間に合わせようと考えました。しかし、開発に与えられた期間はわずか約5週間。通常6〜9か月ほどかかるとされる開発期間と比べても、非常に短いものでした。

こうして1982年に発売された『E.T.』でしたが、前述のとおり購入者の不満を招き、返品も発生。アタリ社は売れ残った大量のゲームソフトを抱えることになりました。

そして1983年、アメリカの家庭用ゲーム市場は大きく落ち込みます。このように、ゲームソフトの供給過多や品質への不信感など、さまざまな要因が重なって市場が急激に縮小した出来事は、「アタリショック」と呼ばれています。

『E.T.』だけがアタリショックの原因だったわけではありません。しかし、映画の人気を追い風に急いで発売されたこの作品は、当時のゲーム業界が抱えていた問題を象徴するものとして、現在も語り継がれています。

アタリショック後のゲーム産業を救った任天堂

出典;任天堂

アタリショックによって冷え込んでいたゲーム市場を立て直すきっかけとなったのが、任天堂の「ファミリーコンピュータ(ファミコン)」です。

ファミコンは、高性能でありながら比較的低価格で楽しめる家庭用ゲーム機として登場しました。日本では1983年に発売され、1985年にはアメリカでも発売。アタリショックで大きな打撃を受けたアメリカのゲーム市場が、再び盛り上がるきっかけとなりました。

ファミコン向けのソフトを発売するには、任天堂とライセンス契約を結び、任天堂の定める基準に沿った審査を受ける必要がありました。

これは、質の低いゲームが大量に出回ることで、ユーザーがゲームそのものに不信感を抱く事態を防ぐための取り組みでもありました。

こうした品質管理の仕組みを整えたことも、低迷していたアメリカのゲーム市場が再び活気を取り戻すうえで、大きな役割を果たしたといえるでしょう。

思い出のゲームを次の世代へ

ゲームの歴史を振り返ると、時代を超えて多くの人に愛されてきた作品がたくさんあります。
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出典:ゲーム王国

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まとめ

ゲーム史に残るクソゲーが生まれた背景には、目先の利益を優先するあまり、ユーザーの信頼を失ってしまったゲーム産業の歴史がありました。

しかし、アタリショックの教訓をもとに、任天堂がソフトの品質を管理する仕組みを整えたことで、その後のゲーム産業の発展につながりました。

時代とともに進化してきたゲームですが、昔遊んだ作品にも、今なお色あせない思い出が詰まっています。

遊ばなくなったゲームが自宅に眠っているなら、ゲーム王国の買取を利用して、次に遊んでくれる人へつないでみてはいかがでしょうか。

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